以前のブログ記事「まちの記憶」で、糸魚川市の中心街の賑わいの様子を写した懐かしい写真をご紹介しましたが、その他にも懐かしい写真がいくつか出てきました。
今回ご紹介するのは、昭和生まれの糸魚川市民なら誰もが知っている「親不孝通り」と「城の川/城之川(じょうのかわ)」。どちらも昭和40年代後半のものです。
親不孝通りの正式名称は「中央横丁」。糸魚川駅の西側、越後トキめき鉄道沿線に沿って約100メートルほどに渡り様々な飲食店が立ち並ぶ現在も現役の飲み屋街です。アーケードの看板こそ「中央横丁」とありますが、地元の人には「親子不幸通り」の愛称で定着しており、市内の様々な街なかマップのほとんどが「親不孝通り」と記載されています。写真は弊社で排水溝工事を行った時の記録ですが、現在もこの当時の看板が一部存在しています。
現在は、空き店舗や一部解体も行われ、当時の勢いには及びませんが、それでも当時のノスタルジックな雰囲気を残している貴重なエリアです。
そして、「城の川(城之川)」。糸魚川駅北の中心街を流れていた城の川は、柳の木に囲まれ、非常に風情のある街並みだったようですが、都市化が進んだこの時代は、既に暗渠(あんきょ)排水として地下埋設化されてしまっています。しかし、線路を挟んで南側には現在もまだ開渠(かいきょ)として露出している部分が残されています。写真はその南側部分(新潟日報社糸魚川支局から越後トキめき鉄道沿線までの間)の改修補強工事を当社で行った時のものです。
まちの風景は少しずつ変化しますが、今でも当時の面影を残している箇所がたくさんあります。この頃の糸魚川のまちには、活気と躍動感が満ちあふれてていました。昨年12月の大火でまちの中心部に大きな被害を受けた糸魚川市ですが、必ずまた力強く再生し、賑わいと人情味のあるまちの姿を取り戻してくれるはずです。
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