“技術的なことはもちろん、設計した建築が持つ哲学が最終的に問われる世界。
その建築にかける自分の思い、こだわり、その土地と自分の設計した建築の接点。
それらは、数字でのみ語られるものではない。
哲学のない建築は人の心を動かさない。
僕は図面を書くときは、手紙だと思って書けといってるんです。 ”
これは、2020年に開催される東京オリンピック・パラリンピックのメインスタジアムとなる新国立競技場の設計者としても有名な建築家の隈研吾氏の言葉です。
彼の代表作には、歌舞伎座、浅草文化観光センターなどがあり、私たちの暮らす新潟県では、複合型市役所「アオーレ長岡」が有名です。彼の手掛ける建築は、ルーバー(日よけ)を多用したデザイン、実験的とも思えるほどに様々な素材を大胆に用いながら、自然と人工の中間のような独特の空間をつくることを得意としています。
アオーレ長岡
その隈研吾氏の個展『くまのもの 隈研吾とささやく物質、かたる物質』が、今月3日から東京・東京ステーションギャラリーで開催されていますが、この中で彼は、こう語っています。
“建築とは、結局のところ物質である。物質と人間との会話である。
世界という得体のしれない大きさなるものが、物質という具体的存在を通じて、人間と会話するのである。
物質が違うと、会話の仕方も変わり、こちらの気分も大いに変わってくる。
20世紀は、コンクリートのせいで、会話は固くなり、人間の表情もずいぶん暗くなった。
もう一度、様々な物質と、いきいきとした会話をはじめよう。”
建築とは手紙であり、会話である・・・
日本の住宅産業はここ十数年で一気に規格化・パッケージ化が加速しました。規格化・標準化にはもちろん、よい面もあり、出来合いのパッケージ商品は一見すると非常にコストパフォーマンスもよく、分かりやすく、万人に受け入れられるものが量産されます。しかし、構造的な規格化・標準化と人それぞれの暮らしを規格化・標準化することを同じ土俵で考えてはいけません。その人の暮らし、そのご家族の暮らしを豊かにするためのデザインプロセスはけっして標準化できない領域。人はみな、生まれながらに性格も身体的特徴も違えば、生まれ育った環境、考え方、人とのつながり方まで全て異なっています。その人それぞれの暮らし方には、一つだけの共通解があるわけではありません。設計者として、じっくりとその人と向き合いながら、少しずつ理解を深め、共感する中から、プロとしての最適解を考え抜いていくことが求められます。また、隈研吾氏が語るように、そこに建築としての「哲学」がなければ、いかなる数値的な整合性も人の心には響かないのではないかと思います。
私たちは、お客様に最高の手紙を書けているだろうか? 私たちの手でつくられ、届けられたその家は、主との会話が成立しているだろうか?・・・そんなことを大切にしながら、日々家づくりと向き合っていきたいと考えています。
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